2007年12月31日
人形劇団かじまやぁと桑江良健の絵

人形劇団かじまやぁ 大きさ:184x161cm かじまやぁ美術館常設展示
今年も今日で終わり、月日のたつのが本当に早く感じられる歳になりました。
2,30歳代には50歳まで生きたらいいと思って生きてきて、これを過ぎると親父の年の55歳まで生きればいいと、、、これも通りすぎたら何歳を目標にしようかと思いましたが、67歳を目標に生きて行こうと思っています。
67歳はセザンヌが生きた年です。私は67歳までがむしゃらに絵を描いていくつもりです。
人形劇団かじまやぁの主宰者は97歳のカジマヤーまで頑張るつもりらしい。
人形劇団かじまやぁの作品「チョンダラー」は保育園・幼稚園用に編集し直してあります。勿論小・中・高校用及び一般向けは今まで通りに公演します。
今年はブログを始めて、外に発信し易くなりました。このかじまやぁ情報が私達の放送局でありスポークスマンになっています。下手な文章を読んでいただき有難う御座いました。来年も宜しくお願い致します。
よいお年をお迎え下さい。
2007年12月30日
人形劇団かじまやぁ


1999年台湾・雲林県国際人形劇フェスティバルに人形劇団かじまやぁも参加しました。
台北空港での荷物の検査の事が心配でしたが、招聘状を見せたら何も見ず許可してくれました。
後で分かった事ですが、雲林県国際人形劇フェスティバルの事が一ヶ月ほど連日全国放送をしているらしく、特に人形劇団かじまやぁの桑江純子の映像がテレビで放送されていたそうです。知らないのは私達だけで、税関吏はよく知っているようでした。
人形劇団かじまやぁはキジムナーを持って行き、5開場で6公演。
最初は台西と云う所で、馬祖廟の特設会場。
最終日は斗六(とうろく)文化中心で公演。
当初の予定では1回公演だったのですが、会場のキャパが250名ほどにも関わらず人形劇団かじまやぁの公演を見たいというお客さんが1000名ほどになり、すし詰めにして2回公演を行いました。
演目のキジムナーは日本で何時もやっているスタイルで、吹き替えなしの日本語でやりる。
大成功裡に終えることが出来ました。
2007年12月29日
桑江良健の絵・徒然20

人形使いの肖像 F100号 かじまやぁ美術館所蔵
今朝の新聞に目を通すと、ネパールで王制を廃止して共和制に移行するとある。
1978年ごろ、私がネパールに行ったころ「毛語録」の本がやたらとカトマンズの街に出回っていました。当時、「ネパールが共産主義になるのかなぁー」と半信半疑な思いで居ました。でも数年前から毛派の活動が、沖縄の新聞にも載るようになり注目にていました。
近年まれに見る市民革命ではないだろうか思っています。21世紀のフランス革命のような感じがしてならない。
何事も「ローマは一日にして成らず」を実感した次第です。
私も彼らに学ばねばと思っています。。。「ローマは一日にしてならず」。
2007年12月28日
桑江良健の絵・徒然19

岩のある風景 大きさ:F40号 かじまやぁ美術館所蔵
昨夜「ブット元首相の暗殺」の二ュースを聞き、1983年パキスタンの南の都市カラチに行った事を思い出した。
入国の際、「15日間の滞在しか」、税関吏はくれない。「国家間の条約で3ヶ月滞在できるはずだ」といったがダメだと言われる。外務省に報告すればよかったのだが、、、、でも今もその証拠は持っています。
一般の国民はとても親切です。
その時のパキスタン行きの目的は、中部パキスタンのインダス文明の発祥地、モヘンジョダロに行く事でした。
インダス川域にありますが、今はこれと云ったものはなく、ただ平地に遺跡があるだけです。
博物館では当時の装身具が飾られていて、何千年前の人達が作ったとは思えない程の物があります。
アレキサンダー大王はインダス川を渡るため、イスラマバード辺りから南下しハイデラバード及びモヘンジョダロあたりで渡河に成功したそうです。それ程激流との事です。
インダス文明の滅亡には謎が多いようです。博物館で見る限り死体(遺骨)が、同じ方向に大勢倒れて居ます。
原子爆弾みたいな巨大なエネルギーが原因ではないかと云う説もあるようです。インドのカーマスートラにもそのことが記されている事を雑誌で読んだ記憶がある。
ブット元首相の暗殺のニュースは非常に悲しい事ではあるが、世界の四大文明の発祥地があるパキスタンがこのまま終わるはずがないと思います。
バグダッドでパキスタンの人達と一緒に仕事した事がありますが、器の大きさを感じました。。
2007年12月27日
桑江良健の絵・徒然18

形体 大きさ:F10号 かじまやぁ美術館常設展示
30年前南フランスのエックス・アン・プロバンスで半年間、車で寝起きしながら絵を描いていました。
車も故障して廃棄処分し、作品をパリに発送するため乾くまで数日間エクスの街に留まっていました。
ある日公園で手紙を書いていたら、乳母車を押している綺麗なご婦人が、私の前で立ち止まり、「明日もこの公園に来るのですか」と尋ねる。勿論何処かに行くあてもないし、まだ絵も乾いてないので1日公園過ごすつもりである事を告げる。
翌日も公園で手紙を書いていると、そのご婦人が乳母車を押して、何かを持って来ている。
それは彼女の旦那さんの衣類なのです。私の身なりのみすぼらしさに心を痛めたのでしょう。「これを着なさい」とのことでした。心尽くしはとても有りがたいのですが、私には大きすぎる様ですが有りがたく頂きました。
彼女はペルー出身でエール・フランスのスチュアーデスをされていたそうで、ご主人はエール・フランスの現役のパイロットとの事でした。
彼女曰く「貴方は日本と云う素晴らしい国に生まれて幸せな事です」。当時ペルーは政治情勢が厳しかったのでしょう。
私が絵描だと云うと、「1点絵を買いたい」との事になりパリに戻り、新しく「今日掲載してあるようなシリーズの作品F25号」を送る。
その作品が、私がフランスでフランス人に売れた最初の作品です。
2007年12月26日
人形劇団かじまやぁ

構成 大きさ:F25号 かじまやぁ美術館常設展示
20年前、奄美公演で加計呂麻島の芝と云う所でやった時、私達は3時間前に準備に取り掛かりました。
そこは小さな集落でとてものどかな所ですが、お年寄りが殆どです。
仕込みをしている時に、殆どのお年寄りが開場に見えて場所取りをするわけです。
「開演は3時間後ですから」と言っても、ずっと座っているお年よりも居ました。
復帰前は沖縄からよく芝居しに来たそうです。私たちの事を「那覇芝居」と云っていました。昔は沖縄芝居の事を那覇芝居と呼んでいたようです。
お年寄り達にとって那覇芝居はとても懐かしいようでした。
余談ですが、その数年後私の姪が結婚したのですが、相手は芝の出身とは不思議なものです。
2007年12月25日
人形劇団かじまやぁ


昨日24日、友人の息子の結婚式で人形劇の上演を急遽依頼され、無事終えることが出来ました。
新郎新婦のご家族のみの結婚披露宴の席で、出し物は人形劇に絞って頂き光栄の至りです。
結婚の儀を終えたら、すぐ人形劇に入り宴はその後になりました。
素晴らしい結婚式でした。心からお祝い申し上げたいと思います。
2007年12月24日
桑江良健の絵・徒然17

屋我地 大きさ:F60号 かじまやぁ美術館常設展示
フランス外人部隊出身者で出来ている会社に友人が勤めていて、アフリカのガボンと云う国で仕事があるので「行かないか」と云う誘いを受ける。勿論、OKである。
ガボンはコンゴの隣にある国で、そこで窓のサッシを取り付ける仕事です。
当然行けるものと思っているので、計画はガボンを中心に考えていて、どのように行こうか友人と色々考えていました。
モロッコに入って大西洋沿岸を車で南下しようか等々。
小学6年頃、兄の命令で新聞を読むようになって、当時ベルギーからコンゴが独立する事で新聞によく、コンゴとか国連のハマーショルド事務総長の名前が載っていました。ハマーショルド事務総長が飛行機事故で亡くなった記事を読んでいたので、コンゴ方面には非常に関心がありました。
ガボンでの生活を夢見ていたので、なけなしの金も使ってしまった訳です。ところが事情が変わり行けなくなってしまう。
何事も期待しすぎはいけません。生活を立て直すのに大分時間を費やす事になる。
2007年12月23日
桑江良健の絵・徒然16

H氏の肖像 大きさ:F100号 かじまやぁ美術館常設展示
3ヶ月毎にビザの関係でフランスを出て行かなければならない。
久しぶりにギリシャに行ってみようと思い、バスで旧ユーゴスラビアを経由しアテネに入る。
寝場所はアクロポリスが見える小高い山でテントを張り過ごす。思ったより寒い。
あくる日アクロポリス(パルテノン)に行って見てビックリ。
モンマルトルで一緒に似顔絵を描いていたジプシーの女性が、パルテノン神殿の広場で似顔絵を描いていました。彼女も私に気付き互いに挨拶をして別れる。
ヨーロッパではジプシーの証明書を待っていれば、何処にでも行く事が出来ます。モンマルトルで似顔絵を描いているジプシーの方々も、夏が終われば暖かい所に移動すようです。
2007年12月22日
人形劇団かじまやぁ

森の妖精 大きさ:F6号 かじまやぁ美術館常設展示
20年前、奄美大島本島、喜界島、カケロマ島を40日掛けて公演しました。
一公演の上りが少ないので宿代もままならないい有様、福祉施設の一室を借り奄美大島全島を廻りました。
鍋、釜もない施設なので、浜でアルミのやかんを拾い、岩に生えているニガナを摘んで来て味噌汁を作り、投網を買ってきて浜で網をうち魚を捕って食料の足しにする。
ある日は、奄美本島の北で公演を打ち、中ほどの住用村で昼の公演、夜は南の瀬戸内町で公演をしました。
移動しながら食事をする。その時は結構ハードでしたが、今となってはいい思い出である。
2007年12月21日
人形劇団かじまやぁ

嘉津宇岳 大きさ:F15号 かじまやぁ美術館常設展示
7,8年前に高知県須崎市の、タイの養殖が盛んな所でやりましたが、折り悪く赤潮でタイが全滅した時に公演をしました。
上演したのは「キジムナー」で、内容はと申しますと自然保護をテーマにした作品になっています。
上演前、2000年いき続けている「くすのき」だったと思いますが、御神木にお参りしてから公演に入ったのですが、 何か「面当て的」なようで気が重かった様に記憶しています。
公演は大成功で打ち上げも盛大に行われました。子供から大人、お年寄りまで参加してくださいました。
会長さん曰く「劇を見て本当によかった、私達が目先の利益に目がくらみ、自然を破壊すると子や孫に何も残せなくなる。劇で言われているように、山と海は一体である。赤潮を起こさせないためにも自然を守らなければならない」。。。と
2007年12月20日
桑江良健の絵・徒然15

うしんちー 大きさ:F4号 しゃんぐりら所蔵

先日、A氏ご家族6名が、かじまやぁ美術館を訪れました。A氏ご夫妻は、美術館開館祝い以来1年3ヶ月ぶりの訪問でした。
子供達が居るとにぎやかになり活気付きます。日ごろは夫婦二人の生活なので話すこともあまりないが、来訪者があると有意義な一日となるから不思議なものです。
私は、外で人と話す機会も少なく来訪者があると生活にも潤いが出てきます。
2007年12月19日
桑江良健の絵・徒然14

竹馬の友 大きさ:144x126cm かじまやぁ美術館常設展示
マチスはセザンヌの絵を1点持っていて、常に絵を描くとき傍らにその絵をかけて絵を描いていたそうです。
話の様子だと0号サイズのようです。
引越しの際、自分の作品は弟子達に運んでろらったらしが、セザンヌの作品だけは常に彼自身が運んだそうです。
ポンピドー美術館ではマティスとピカソを重点的に見ていたが、彼らと同様私も歴史の中で生きたいものです。
しかし彼らの作品を全て認めて居る訳ではありません。特にマティスの「ルーマニアの女」とピカソの「アルルカン」のバーントシシェンナーの色が必要以上に「赤く」感じられるのが常に気になって仕方がなかつた。色彩空間が完璧でないとこのような現象を起こします。
2007年12月18日
桑江良健の絵・徒然13



先日妻の友人のAさん家族4名が、かじまやぁ美術館を見学に見えました。
ご両親がとても感動していました。お母さん曰く「この絵は本当に描いたのですか」と聞かれとても気持ちがいい思いを致しました。
展示してある作品は全て、色彩空間を手直ししたので、観覧者の本能に訴える事が出来るはずだと思っていますが、現実に「本当に描いたのですか」と聞かれ、その証明がなされたのだと思うと嬉しいものです。
2007年12月17日
桑江良健の絵・徒然12

新里ビラから見た知念半島 大きさ:F15号 かじまやぁ美術館常設展示
ルーブル美術館内に、ピカソ・コレクションを展示してある部屋がありますが、そこにセザンヌの作品が何点か展示されていました。私はそれを見るのが楽しみでした。
その中に「シャトウ・ノワール」と云う作品がありましたが、晩年のセザンヌの作品です。
聞くところによると、その作品は、ピカソが1930年代に散歩の途中、ある画廊に展示されているのを見て、自分の作品数点と交換したようです。
歴史に残っている作家も、生存中は我々と大差ない存在のように思います。しかし、歴史に残るにはそれら歴史上の人達と何らかの関係、エピソードを持つ事が重要でないかと思う。
小さい目標は小さい努力しか生まないし、又結果もしかり。
大きい目標は大きな努力を生む。
2007年12月16日
桑江良健の絵・徒然11

幹 F10号 かじまやぁ美術館常設展示
1976年に南フランス、エックスアンプロヴァンスで描いた作品です。このような作品を20点ほど描いたが、私の手元には3点しかありません。
その後色彩の研究に入る元となった作品です。どのように色彩を研究していけばいいのかも判らず大変悩みました。
でも私が居たモンマルトルには有名・無名の絵描が沢山集まります。先輩作家の話を聞き感動し、又歴史に残る絵描が日常的に散歩しています。
私でも出来るのは何かと常に考えていて、可能な事から実践に移してきました。
その第一が「絵を描く時間を多く持つ事」でした。その為には可能な限り切り詰めてきました。
日本で有名な絵描の「村上ひでおさん」曰く、「ダンボールにでも何にでも絵を描けばいい」と云う一言を頂戴いたしました。
2007年12月15日
人形劇団かじまやぁ


5月1日に東京目白のアイピット目白で、新城亘の琉球古典音楽と比嘉いずみの琉舞、人形劇団かじまやぁのジョイント公演をしたメンバーとプロデュースをして頂いた川平いつ子さんで、12月12日かじまやぁ美術館で忘年会をしました。
今後の事も色々話が出て有意義な忘年会をする事が出来ました。
2007年12月14日
人形劇団かじまやぁ

演技指導風景

先日、東江幼稚園で瀬喜田幼稚園を招いて2園合同で、人形劇団かじまやぁの「キジムナー」を観劇。
先生曰く「普段あまりあまり物を言わない子が、興奮してとても面白かった」と言っていたそうです。
このキジムナーは北は北海道から南は台湾まで公演してきましたが、相変わらずの人気です。
2007年12月12日
桑江良健の絵・徒然10

構成 F25号 かじまやぁ美術館常設展示
パリについて初めて住んだところは、ムーランルージュを右に上がった突き当りの通りを左へ3、4件目建物の4階でした。
私の部屋は通りに面していて、通りの左斜め前方の建物にゴッホが住んでいたそうです。
かのゴッホが住んでいたのかと、とても感激したのを覚えている。
その後何日かしてアムステルダムのゴッホ美術館に行ってみました。
日本で小林秀雄著「ゴッホの手紙」を読んでいたのでとても期待していたのですが、彼が云う程の感動はありませんでした。小林秀雄は文章はうまいが、絵は殆ど知らないのじゃないかと思います。
それはさておき、私がゴッホ美術館で感動したのは、美術館の3,4階に展示された、浮世絵師・豊国の作品群です。ゴッホの絵には目もくれづ、豊国の版画を何時間も見ていました。かれこれ3,4時間見ていたが、私以外誰もその階に来ませんでした。
この感動は、後の私の絵画活動でとても重要な意味を持つことになる。
2007年12月11日
桑江良健の絵・徒然9

つきしろから見た風景 大きさ:F100号 かじまやぁ美術館所蔵
私がパリに居た当時、フランス国内で個展を開いたら、その作家(外国人でも)は仏国に1点の絵を寄贈する権利がありました。即ち、個展を開くと云う事は、絵描としてのひとつの証と云う事になると思います。
個展は作家の最も重要な活動だと思います。定期的に個展を開くにはそれだけの生活が要求されます。毎日どれだけの時間を、絵につぎ込んでいるかすぐ判ります。
絵描の付き合いとは、個展を見る事にあると思っています。定期的に個展を開ける絵描が多くなれば、私の付き合いも広がるのだがと思っています。



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