2007年10月31日
桑江良健の絵・移動40

構成 大きさ:F25号 かじまやぁ美術館所蔵
パリを出て何日になっただろうか。マドリッドに入るためにはちょっとした山脈越えがある。雪化粧した上り坂を自転車を押して歩いていたら、行きかう車の中から応援の声を掛けられる。内心「人の気も知らないで」と思いつつ山越えをする。丁度日本に例えたら日本海側から太平洋側に出たようなものです。峠を越えると本当に暖かく感じられる。下りは一気に下る。とても暖かい。
人間不思議なもので、楽に過ごしたところはあまり記憶がないものです。マドリッドに入って、日本の何処かのテレビ局が撮影している側を通っていった事とか、グラナダあたりを移動中すれ違ったバスの中から日本語が聞こえてきた事ぐらいしか覚えてない。コルドバの夕日が大きくて美しかったのも覚えています。自転車のタイヤは限界に来ているように感じる。
2007年10月30日
人形劇団かじまやぁ

国立風に地劇場おきなわでの公演風景
台湾の師匠・鍾任壁老子達が、11月1,2日の早稲田大学・井深大記念ホールでの公演する事になり、弟子の桑江純子も出演するため、東京に今朝出発した。演目は「西遊記」です。老子たち一行6名と桑江純子、7名で上演します。
10:00~11:30 14:30~16:00 の2回公演
連絡先 03-3444-8724・・・台湾資料センター
03-3280-7836・・・台北駐日経済文化代表処文化部
ご覧になりたい方は上記までお問い合わせ下さい。
彼女が、宿泊するホテルの電話番号を書いたメモを忘れてしまう。
家に戻りメールで知らせたつもりが、どうもブログにメールしたらしい。
パソコンが故障したのかと思い何度もメールするが、結果はブログにメールしたようです。
人間の思い込みとは恐ろしいもので、アドレスを間違っていたらしい。
ブログに変な記事が掲載されているのはその為です。
2007年10月29日
人形劇団かじまやぁ

人物 大きさ:F25号 かじまやぁ美術館常設展示
宮古の来間小・中学校での公演は、20年前ですからまだ橋が架かっていません。終戦当時の鉄製の赤茶けた船で渡る。児童・生徒は全部で5名ですから、地域の方々にも声を掛け体育館で「孫悟空」を上演する。その後来間小・中学校では橋が架かってからもう一度公演をしました。隔世の感がありました。
2007年10月27日
人形劇団かじまやぁ

伊是名島 大きさ:F4号 かじまやぁ美術館所蔵
20年前宮古の大神島の大神小・中学校で公演しました。演目は「孫悟空」をやる。この時は沖縄県教職員組合からの依頼で、沖縄県の離島の学校を巡回して欲しいとのことでした。そこで私達は、複式学級を中心に回ろうと計画する。
初めに大神小・中学校から始めることにした。と言いますのは、姉が43年前に大神小学校の教員として赴任していて、任務を終えたので、その引越しのため大神島に行く。43年前はサバニで渡りました。20年前は大きな連絡船になっている。
船長さんに、「43年前うちの姉が大神小学校に赴任していたが、覚えていませんか。」と聞いたら、よく覚えているとの事で感激しました。その事を姉に話したら、あくる年姉夫婦で大神島を訪ねたそうです。
2007年10月26日
桑江良健の絵

未来達に平和を 大きさ:F150号 かじまやぁ美術館常設展示
この絵を描くきっかけは「沖縄サミット」でした。小渕さんをテーマに何時か絵にしてみようと考えていました。私の考え方と云うか思想と云うか、「現役の政治家は描かない」と云う考えがあります。その政治家が国民の為の政治をしたので有れば、おのずと歴史の中で語られるでありましょう。
当初小渕さんの像を6,7体画面に展開して、人骨などを配して絵にしようと考えていました。(若い頃小渕さんは沖縄で遺骨収集をされたので、、、)。
そのように構想をめぐらしていた折、「9・11」が起こりイラク戦争に入って行く。
そこで急遽、構想を改め「未来達に平和を」と云うふうになりました。
桑江良健絵画展 04年10月5~10日 名護市立中央図書館於
今世界のあちらこちらで戦争がおき、
悲劇が繰り返されている。五十年前・・・
ひとりの若い学生が、戦争で死んだ人達の
遺骨収集のため沖縄に来た。その人が後の
総理大臣小渕恵三さんと聞く。
沖縄の諺で「意地ぬ出んじら手引き、
手ぬ出んじら意地引き」と云うのがある。
国家の指導的立場にある方々に、
その言葉を送りたいと思います。
未来達に平和を、未来達に平和を!
2年前の展覧会の案内用ハガキのメッセージと絵です。
2007年10月25日
桑江良健の絵

あじくーたー 大きさ:160x140cm かじまやぁ美術館常設展示
この作品を描くとき、何を描いていいか判らず思案した挙句、画面左側上部の後ろ向きの女性像から描き始める。
わたしの作品は旅と同様、全く無計画である。この作品も描き始めから、中盤に差し掛かっても何を描いていいか判らず、後は「早めに画面を形で埋め尽くしてやろう」とそれだけを考え、右下を埋めて終わる事にした。
「あじくーたー」と云う題名は個々の味が判らず、どんな味なのかさっぱり判らなくなってしまったので「あじくーたー」とつけました。本来の「あじくーたー」の意味とはかけ離れた心境です。
2007年10月24日
桑江良健の絵・移動39

あじくーたー 大きさ:144x121cm かじまやぁ美術館常設展示
旅人はその地名の響きで移動する率が多い。暖かいアンダルシア地方に早く入りたいが、「サラマンカ」と云う響きがいいのでそこを経由してアンダルシアに入るか迷う。そこを経由すると寒い所に長くいることになる。
手前のブルゴスと云う街を経由する事にする。そこも寒いではある。
自転車のブレーキが寒さで凍って元に戻らない。坂を下る時ブレーキをかけて下りるのだが、平地になってもブレーキがそのままだ。ハンドルからタイヤまであるブレーキ用の線が、それが通っているパイプの中が凍ってしまう。布でこすって暖め元に戻し走る。パンクの回数も多くなる。
水をもらう為村に入ったら、上り坂のところで、後から10頭ほど牛が一列縦隊でついてくる。自転車を押して歩いている訳だが、何しろ路面が凍っているのでうまく歩けない。道幅は2,3mしかないので、牛の角で引っ掛けられたらひとたまりもない。避難するへこんだ所がないので、やむなく立ち止まってジーッとしていたら、牛達は私の目の前を、私には目もくれず通り過ぎていく。
2007年10月23日
桑江良健の絵・移動38

通り 大きさ:F6号 個人蔵
いつものように高原の国道を、淡々と自転車のペダルを漕いでいる。でも何か変だ。立ち止まって振り返ると、30m後方に子犬(人間で云えば13歳くらい)が立ち止まりこちらを見ている。
また漕ぎ出し2,3kmして振り向くとその子犬がいる。
「何をしているのだろうか」。。。
この子犬は自分の村に帰る途中で、俺を追い越したいが躊躇しているのかと思った。
又漕ぎ出し村も過ぎた頃振り返ると、その子犬がまだ追いかけてきている。やっと飲み込めた。
この子犬は私と一緒になりたいのだ。困ったものだ、私にはこの子犬を扶養する能力がない。
「追っかけてくるな」と促すが、15,6kmも着いてくる。
これではいかんと思い心を鬼にして追い払う。
人間、物心両面に余裕がないといけない。
2007年10月22日
桑江良健の絵・移動37

憩い 大きさ:F100号 かじまやぁ美術館所蔵
寒い所を旅している時、何に一番幸福感を感じるかと云えば「暖」ではないかと思う。何時も冷たい地べたでテントを設営しているので、わらの上での設営はなんとも云えないほど嬉しい。
干草があつさ50cm程で、広さがテントを設営するのに程よい広さの上で寝る。なんとも云えない暖かさで気持ちがいい。何時の間にか寝入ってしまう。
目が醒めると、まばゆいばかりの明るさである。昼間まで寝てしまったのかと思い、テントの入り口を開け外を見たら何も見えない。一面、霧に包まれている。上を見上げたら太陽の光で真っ白い輪になっている。何とも表現の強いようがない光景である。
神が私に後光を照らしてくれているのか、それとも行く先が霧の闇の中か。色々考えてしまう。
2007年10月21日
人形劇団かじまやぁ

福島空港が出来て間もない頃、奥会津の金山町でキジムナーを公演するために那覇空港を出発。羽田を経由して福島空港に向かう。そろそろ福島に着くかと思いきや仙台空港に着陸とのこと。
出迎えの人は福島空港で待っているだろうし、連絡したくても出来ない。福島に行くお客は勝手に「電車を使って行く様に」とのこと。当時は携帯電話がない頃でどうしようもない。
とにかく郡山まで行く事が先決だ。出迎えの人の顔も知らない。夜も9時ごろになっている。
奥会津の金山町までは遠いので思案にくれる。公演は明日である。
幸いにも、出迎えの人も私達と同じ考えをしていたらしく、郡山駅に行って待っていて下さり、「構内アナウンス」でその存在を知り無事会う事が出来た。
金山町の宿に着いたのは、夜中の12時を過ぎた頃でした。それから歓迎会をして翌日公演は無事完了しました。
今でも年賀の交流をしています。
福島空港に着陸せず仙台空港に行った原因は、当時福島空港は設備が完全でなく、飛行場上空に霧が発生すると、自動誘導設備がなくやむなく、仙台空港に行くケースがよくあるとのことである。
知らないのは私達夫婦2人だけでした。
2007年10月20日
人形劇団かじまやぁ


先日、小禄の宮城自治会でチョンダラーを公演した関係で、今日自治会の皆さん、27名で大型バスを貸切、かじまやぁ美術館にお見えになり、絵と人形を見学なさいました。約1時間じっくり見学してくださいました。
事前に連絡があれば見学可能です。
2007年10月19日
桑江良健の絵

人形使いとキジムナー達 大きさ:F100号 かじまやぁ美術館常設展示
この絵は、人形劇団かじまやぁが、公演している「キジムナー」の人形達を使って絵にしてみました。
このような絵は体力のあるときしか描けない絵です。
2007年10月18日
桑江良健の絵

未来達に平和を 大きさ:F150号 かじまやぁ美術館常設展示
朝日新聞 夕刊2006年(平成18年)2月15日 水曜日
ニッポン 人・脈・記 沖縄をつむぐ
遺骨拾った政治家小渕
沖縄でサミットが開かれた00年7月、首里城の「守礼門」をデザインした2千円札が発行された。沖縄開催と新札発行を決めた首相小渕恵三は4月に突然、脳梗塞で倒れ、目覚めることなく5月に他界した。サミットも2千円札も見ることはなかった。
本島北部の屋我地島に住む画家桑江良健(57)は、サミット後に思い立った。
「世界に沖縄を知ってもらえた。小渕さんを描こう」
桑江の両親は戦前、フィリピンに移住した。戦時中ジャングルで姉が、引き上げ船の中で兄が栄養失調などで死亡。親類は米軍捕虜殺害にかかわり、米軍事法廷で絞首刑判決を受けた。減刑されたが、身内にも苦痛の思いが残る。
「戦争がなければ、兄たち2人はきっと生きていた。親類が人を殺すこともなかった。」
沖縄工業高を出て関東で建築の仕事をした後、74年にパリへ。観光客の似顔絵描きをして、画家を志す。アフリカ、中近東、インドを放浪し、83年に帰郷した。
絵を描くため桑江は、鍾乳洞観光会社の社長大城宗憲(69)に小渕の写真を借りた。その折、小渕が沖縄で遺骨収集をしたことを聞き、制作への思いを強めた。
04年に完成した「未来達に平和を」は縦1・8M、横2・3M。子供たちを大人が囲み、中央に若き日の小渕がいる。桑江の妻純子(54)が主宰する人形劇団「かじまやぁ」の劇を見る子供も、モデルに。サミット6周年の今年7月、那覇市の個展に飾る。
大城が初めて小渕に会ったのは、早大卒業前の小渕が60年に沖縄を訪れた時だった。本土復帰運動に共鳴する小渕は、現在の知事稲嶺恵一(72)の父一郎の家に泊めてもらった。大城は、一つ下の小渕を遺骨収集に誘う。
「沖縄を知るには、本島南部で遺骨の上を踏んづけて歩き、拾って、そこから見てもらうと大変ありがたい、ということでね」
地上戦後、野に放置された無数の人骨は風雨にさらされ、洞窟に埋まり、赤土では赤く、サンゴの土では白く染まっていた。
この20代の体験が、政治家小渕の土台になった。「ともに復帰運動もやり、以心伝心になるくらいのお付き合いでした。」と大城。昨春、小渕の次女優子(32)が出席した那覇市の結婚式で、沖縄モノレール社長湖城英知(71)を優子に紹介した。
湖城は語りかけた。
「あなたのお父さんは『平和希求紙幣』を発行した。単にサミット記念というだけじゃない。私はお父さんの3歳上で沖縄戦を体験した。沖縄を知り、2千円札に託した気持ちがよくわかります」
湖城は名護市生まれ。戦争中、食糧確保のため、避難先の山から里に下りた祖父が銃撃され死亡。戦後、日大を卒業して銀行員となり、沖縄海邦銀行頭取も勤めた。
2千円札の図案なった守礼門には「守礼乃邦」の額が掛かる。中国との外交が華やかだった琉球王国の歴史、文化の象徴だ。 ところが、2千円札の流通は、はかばかしくなかった。これではいかんと湖城は昨年4月、地元の観光、金融関係者に呼びかけて流通促進委員会をつくった。
2千円札が使える現金自動出入機(ATM)を増やす。積極的に釣り銭に使う。2千円札を使ったら割引する・・・・。県内流通量は大幅に伸びた。
それでも、全国の発行高はピーク時の5億枚から、今や半分に。増刷の予定はない。
優子は00年6月に衆院議員に初当選。2千円札はコンビニやタクシーでよく使う。
「沖縄も父がお付き合いした方々の次の世代が出てきている。基地問題を含め、政治家として私にできるところがあると思う。」
製造番号1番の2千円札は日銀、2番は沖縄県が保管する。3番は小渕の家族に贈られている。
(八板俊輔)
2007年10月17日
桑江良健の絵・移動36

あじくーたー 大きさ:144x121cm かじまやぁ美術館常設展示
スペインに入り暖かいにので気も楽になった。
それはとんでもない間違いだった。サンセバスチャンは平地で直ぐ海に面している。
サンセバスチャンを程なく進むと登り坂がずーっと続き、
標高800mほどの高原地帯にでる。大西洋から吹く偏西風でとても寒い。
スペインに入れば暖かいと思っていたので、不意打ちを食らった感じ。
自転車は頻繁にパンクはするし、スポークも折れだす。先が思いやられる。
自転車に乗って移動する時、手とすねがとても冷えるので、
ビニール袋を拾い手袋と脚絆の代用とする。
夜テントで寝ると翌朝、テントの中は氷が一杯張り付いている。
それでもとりあえず前に進むしかない。アルジェリア迄はまだまだ遠い。
2007年10月16日
桑江良健の絵・移動35

あじくーたー 大きさ:F25号 かじまやぁ美術館常設展示
ボルドーを後にし、バスク地方の中心地サンセバスチャンに入る。
ここはもうスペインだ。さすがにフランスより暖かい。
このバスク地方は沖縄と似た境遇に有る。違いはと言えば、
今でもスペインから分離独立の武装闘争している所です。
私が知っていたバスク人が、スペインの秘密警察の人に
パリのアパートで子供の前で銃で撃たれる。幸い弾は心臓の下
1cmのところに当たったらしく一命はとりとめる。
彼は絵描で、バスチーユの彼のアトリエに何度か訪ねた事がある。
彼らは命がけで生き絵を描いている。
ナポレオン曰く、ピレネーを越えたらアフリカだ。
サンセバスチャンの街を過ぎたところでテント設営。
久しぶりに暖かく気持ちよく寝られる。
2007年10月15日
人形劇キジムナー

「親の目・子の目」と云う、民報各社が共同で制作している番組があり、30年以上続いていると聞きます。
その番組に10年前に出て全国放映されました。
人形劇団かじまやぁの舞台正面には、宣伝の為電話番号が大きく刺繍されています。
その時の担当局はフジテレビで担当者が、正面の電話番号を「放映の時は消しましょうか」と東京から電話がありました。
人形劇団かじまやぁの宣伝の為になるので「消さないでください」とお願いする。
放映され終了して直ぐに北海道・美幌町から「電話が入る」。 その年の秋、北海道公演をやる事ができました。
丁度10年前の今頃で、女満別空港に降り立ったとき薄っすらと雪化粧していて印象的である。
私達夫婦は着込めるだけ着込んで女満別に降り立つ。迎えにこられた方曰く「今が一番いい季節です」とのこと。
公演は美幌、女満別、清里、網走の4箇所で行う。
公演後は車を貸していただき摩周湖やその周辺をドライブする。
帰りは美幌から札幌まで列車で紅葉満開のなか移動。 忘れ得ぬ北海道公演になりました。
2007年10月14日
桑江良健の絵・

人形劇団かじまやぁ 大きさ:164x141cm かじまやぁ美術館常設展示
この絵は20年前屋我地に引っ越してきて建てた人形劇団かじまやぁの家です。
記念に絵にしました。
昨年この家を取り壊し現在のかじまやぁ美術館をそこに建てる。
昨日現在手元にある自分の全作品に最終加筆を終えることが出来ました。
愚作の数々ですが、どれも自分の作品なので思い出があり、色彩空間だけは
完全にしておきました。
いま10箇所程から同時に、企画が持ち込まれても直ぐ対応できる体制ができた。
今までも県内外で展覧会をしてきたが、来年からはより積極的に行動しようと
思っている。
2007年10月13日
桑江良健の絵・移動34

人形使いとキジムナー 大きさ:F25号 かじまやぁ美術館常設展示
淡々と自転車のペダルをこぐ。人が普通歩くが如く一日80km。
旅をして外でテントを設営すると毎日緊張とある恐怖感が付きまとう。
その恐怖感を振り払う為に、私は完全に疲れるまで移動する。
人によっては何時も余力を残して置く人もいるようです。
その日はボルドーに入り、国道から少し入った雑木林の中でテントを設営。
テントの中で夕食をとり早めに床につく。遠くで犬の遠吠えがする。
何か不吉な予感がするが、疲れて眠ってしまう。
何かの音で又目が醒める。犬の群れが近づいてくる。もう遅い。
犬は直ぐ近くまで来ている。満月の夜だ。
でも犬も直ぐにはテントの所に来ない。彼らもいぶかしく思ったのだろう。
30分もしただろうか、とうとうテントの直ぐそこに4、5頭の犬がいる。
月光でテントに犬の影が写る。1mmにも満たないテントの壁の厚さ。
左手にナイフを右手に金づちを握り締め、心臓の高鳴るのを必死に押さえる。
テントの覗き窓から外を見てみると犬の顔が見える。
目が合うと困るから、じーっとナイフと金づちを握り閉めて身構えている。
犬達はテントの周りを何度か回る。
一気に襲い掛かられると命はない。
ボス犬の頭に一撃を加えられるかそれだけしか考えない。
緊迫した時間がとてつも長く感じられれた。が、犬達はとうとう去っていく。
疲れがどっと出てそのまま寝入ってしまう。
翌朝、木こりのチェーンソーの音で目が醒める。
2007年10月12日
桑江良健の絵・移動33

人形劇団かじまやぁ 大きさ:164x141cm かじまやぁ美術館常設展示
若い頃バルザックの「谷間のゆり」と云う小説を読んだ事がある。
ロアール河沿いに建つ城での物語りだったと思うが、
城からの眺望は素晴らしく描かれていた様に記憶している。
パリを発って何日かして、ロアール河に着く。
夕方クタクタになりやっとロアール河のほとりにテントを設営する。
一人の中年のつり人曰く、「そこでテントを張るのは危険だ、増水したら流される」。
バルザックと自分を比べ色々考える。
「谷間のゆり」を読んだ時はとても素晴らしい眺めで感動したものだ。
現実にこのロアールの川辺で寝ていると、バルザックの気持ちにはなれない。
夢を見ている様に疲れ果て寝込む。
2007年10月11日
桑江良健の絵

構成 大きさ:F25号 かじまやぁ美術館常設展示
この作品も描き出してから20年以上なるが、
今年画面の研究が進み最後の加筆をした。
どんなに形がよく出来ていても、
空間の研究が足りない絵はレベルが低いと云われます。
色彩空間の研究をしてないと、何十年描いても伸びないと思う。
人の目玉一つまともに描けない。赤い口紅をつけた唇一つ描けない。
そのような点で絵は、人間に与えられた一番平等な仕事だと思う。
私は自分の絵を色々な方々と付き合うパスポートにしたい。
絵は残酷なもので、作品が悪いと本当に馬鹿にされる。
普通、どんな仕事もその仕事の事は悪く言われないが、
絵だけは何故か馬鹿にされる。
やくざな稼業だ。ドロボーも自分の子供には「絵描だけにはなるな」と云うだろう。
でも絵は楽しいですよ。



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