2007年09月29日
沖縄人形芝居「チョンダラー」公演


百名幼稚園での公演風景です。
百名幼稚園はここ数年毎年かじまやぁの人形劇を観ています。
2年幼稚園ですので子供は園で2回人形劇を見るので、
劇を見る感覚を養うようです。
今回もおじいさん・おばぁさん達はじめ親子での観劇になりました。
祖父母及びおかあさんと共通の話題が出来るようです。
劇では「うちなーグチ」も沢山でてきますので、
お年寄りや大人が特に喜ぶので、子供の情操教育にもよく、
方言の勉強にもなります。
多くの方々にご覧頂きたい。
小・中・高生は特に必見の価値あり。
秋には高校での公演も予定しています。
2007年09月28日
沖縄人形芝居「チョンダラー」公演

彩楼舞台とかじまやぁの人形達
今日は百名幼稚園で公演があります。
朝の5時半に我が家を出発し7時から仕込み
9時半の開演に備えます。
家に帰るまで約8時間動きどうしなので、
何時まで体力を保てるかわかりませんが、
可能な限り子供達に人形劇を届けたいものです。
お盆を終えた翌日膝が痛くなり、
一時はどうなる事かと思ったが今は良好。
2007年09月27日
桑江良健の絵・移動27

風景 大きさ:F4号 かじまやぁ美術館所蔵
絵を描くための落ち着ける場所はなかなか見つからず、ただただ地面を見て自転車のペダルを漕ぐ毎日。
ベルギーのブリュッセルも過ぎアントワープまで来る。
途中王宮の庭とは知らずテントを設営し寝る。
早朝警備員がシェパード犬を従え、我がテントのところに来て立ち退きを命ずる。
アントワープがだめであればオランダに向かうしかない。
アントワープからアムステルダムまでは殆ど平坦でとても快適だ。
オランダで自転車がはやる意味が判る。
私の自転車は友人から貰い受けた。彼がどれだけの距離を乗ったか知らない。
500km走ったあたりからパンクしだした。
小石にあたるとパンクするので路面を注意深く見ながら走る。
当然地面だけ見ている。他の景色は見えず。
アムステルダムについても適当な場所が見つからず、やむなくドイツに向かう。
人は絵を描くためには、住まいを決めてからやるものだ。
ここ数年半年以上、同じところに住んだことがない。
私はジプシーになってしまったようだ。
2007年09月26日
桑江良健の絵・移動26

参道 大きさ:サムホール 個人蔵
インド・バンコクを経て日本に帰りまたパリに舞い戻ったのだが、以前より状況は厳しくなるばかりだ。パリに居れるのは3ヶ月しかないのでその間パリで絵を描きく。滞在期間の3ヶ月が間じかになった頃、友人からもらった自転車に画材とテント・寝袋等を積み移動を始める。現実に移動しながら絵を描くことはとても難しい。パリを出てまず北に向かう。ベルギー方面に移動を始める。寝るのはテント暮らし。落ち着いて絵が描ける場所を探さねばならない。移動距離は一日100km、荷を50kgほど積んでいるので100km移動するのは結構きつい。
2007年09月25日
沖縄人形芝居「チョンダラー」公演

公演後皆で記念写真を撮る。

劇に見入る子供達と先生方。子供達はチョンダラーが戦いを始めるとものすごい声援で応援します。劇に入っていきます。
このスナップは先日保育園で公演した時の写真です。
2007年09月24日
桑江良健の絵

人形劇団かじまやぁ 大きさ:184x161 かじまやぁ美術館常設展示
昨日9月23日秋分の日はかじまやぁ美術館の満一歳の誕生日でした。多くの方々の協力で完成させる事が出来ましたが、もし今年工事をしていたらかじまやぁ美術館は出来なかったでしょう。石油の高騰で50~60パーセント材料費が上がったと聞きます。
かじまやぁ美術館は小さい美術館ですが、絵と人形を展示してあるのでこのような美術館はあまりないだろうと思います。絵は大小50点程、人形は200体程展示しています。
今までは展覧会をしないと自己表現が出来なかったが、美術館のお陰で何時でも表現が可能となり前向きに思考する事が出来た。このかじまやぁ美術館とブログで表現が出来気持ちが楽になります。美術には一般の人達はあまり興味は示さないが、絵は興味ある人だけがご覧になればいいと思っています。
絵描の立場から一言、言わさせてもらえれば「絵描を育てきれない国・地域は底力がつかない」と思います。絵は社会と全然関係ないように思われるが、とても深い関係があります。インド・中国・フランス・イギリス・スペイン・イタリア・オランダ・ベルギーと日本より国力はないのに世界では存在感がある。沖縄の政治家・経済界の方々が今一度他国の文化を絵画の面から見てみる事を望みます。
2007年09月22日
桑江良健の絵

人形劇団かじまやぁ 大きさ:164x141 かじまやぁ美術館常設展示
子供の頃、大人(50歳)になったら大きな人(懐の深い人)に人はなるだろうと思っていました。現実に50歳を越えても人は変わらない。むしろ逆に人間あさましくなる傾向にある。
20代の体験と40・50代の体験と各人違うでしょうが、概して20代の体験が人生の基礎になっているように思う。なれば「今の若い者は」と云うことは慎まねばならない。
私は絵を始めて30数年余、どうしたら先達たちに追いつけるかとやって来た。彼らと同じくらい描く事を目標にやった訳だがなかなか芽がでない。才能の問題か、、、いやいや北斎やセザンヌ・ピカソ・マチスらと同じ世界・同じ土俵で生きているんだと思っている。才能の差などありえない。
絵描は世に認められたいと絵を描いているこの現実は、子供の頃、50歳になったら大人(たいじん)になれると思い描いていた事とは遠くかけ離れている。
今、私がこうしてブログをやっているのは近々「大ブレーク」する事をを想定して自分の過去を整理しています。絵描は夢を見てないと生きていけない生き物だ。
2007年09月21日
桑江良健の絵・移動25

かじまやぁ美術館常設展示
ネパールまで来ているのでタイのバンコクを経由して、一時日本に帰ることにした。大阪空港に着き、大阪の友人のところに一晩厄介になり東京にたつ。日本はヒッチが楽くと聞いていたので移動はヒッチにした。東京まで一発で長距離トラックで行く。東京に何しに行ったか全く判らない。ここまで来たのであれば沖縄まで足を延ばしてみようと鹿児島までヒッチした。途中屋久島に立ち寄る。沖縄に戻ったら母親は「息子の変わり果てた姿」に悲嘆にくれる。兄弟達も同じ心境だっただろう。友人達の計らいで沖縄で少し絵を描き、長野県の木曽の山奥で、ダム建設用のボーリングの仕事で旅費を稼ぎ、再度ヨーロッパに立つ。
2007年09月20日
桑江良健の絵・移動24

かじまやぁ美術館常設展示
私がカトマンズに着いてすぐ感じた事は、奈良・京都の建物がそっくりある事にビックリした事です。私は高校は建築科でたものですから、社寺建築は日本古来の建築として教えられた。カトマンズにある木造の五重塔とか八角堂らしきものは、みな日本のものと同じだという事です。ネパールが日本から木造建築技術を習ったとは考えられない。日本古来の木造建築ではなく日本がネパール方面(ヒマラヤよりの中国)から技術を学んだのではないだろうかと思います。奈良・京都の社寺建築の事を取り上げるとき、誰かがカトマンズの木造建築の事を言ってくれる事を期待していたのだが一人としていませんでした。ヒマラヤ登山で多くの登山家がカトマンズに来ているはずなのに、そのことに誰も触れてないのがとても残念に思っています。このような事をしっかり教えることは国際交流する上にとても大切な事だと思います。焼き物でも日本で発明したとかいった事が、実は朝鮮から習ったのを自分達で工夫発明したとか言う事がよくある。とてもよくないことだ。
2007年09月19日
桑江良健の絵・移動23

私がインドに行ったのが30年前で今のインドはどうなっているか正確に判りませんが、30年前とあまり変わりはないと思います。インドの一番不思議な事はインドに行った旅行者が100パーセント近く「クタクタに疲れさせられる事」です。もしそれを他の国でそのような事を味わうと「多分二度とその国に行こう」と思わなくなるでしょう。でもインドには50パーセント以上がもう一度行ってみたいと思っている人がいるのではないでしょうか。観光立県の我が沖縄がインドのように成れたら素晴らしいと思うが100パーセント成れらいだろう。観光客が一人も沖縄に来なくなってしまう。インドのすごさはあれほど外部から来た人達を、コテンパンにくたびれさす事です。インドに行って2年程して堀田善衛の「インドで考えたこと」を呼んだが彼がインドに行って20年後私がインドに行ったわけですがインドは変わってなかった。
ラジギールの日本山妙法寺に行き何日間か「うちわ太鼓」を叩きながらお経をあげラクソウル(?)からビルガンジーに入ったのだが、国境の税関員は何人かの外国人の通関を確認し部屋に戻って行き、なかなか私の所に戻ってこないのでもう一度呼んだら向こう側で彼は手で「行け」とあじ図するのである。はじめ何の意味か判らず立ち止まっていたら、彼はまた「行け」と合図する。私もやっと意味が飲み込め「私はネパール人」ではないとパスポートを見せたら彼も笑いながら戻ってきて「入国スタンプ」を押した。その時目立たない事がこんなにいいもんかと感じた。
2007年09月16日
桑江良健の絵

かじまやーうーえー F6号
この作品は友人のお母さんの「かじまやーうーえー」を迎えた事を記念して肖像画にしました。日本で一番小さい美術館だろうと思いますが昨年完成しました。何しろ先だつお金がないものですから設計料がないので、この絵と引き換えに設計をしてもらいました。かじまやぁ美術館はとても小さい美術館ですが友人達のお陰で昨年完成し、今月9月23日満一周年を迎える事が出来ます。小さい美術館ではあるが多くの友人達の協力で出来た事は世界に誇れると思っています。1級建築士が4名スタッフとして加わってもらい、土地家屋調査士も加わってもらいました。協力金がないので私の作品1点ずつ差し上げて完成に至る。
2007年09月15日
桑江良健の絵

あじくーたー 大きさ:144x121cm
筑紫哲也さん(TBS・ニュース23)の推薦文
他の世界でも多かれ少なかれ、そうなのだが、
とりわけ絵画の世界では「私、描く人、あなた、観る人」の関係が画然としていることが多い。
そうなるとプロの格付けだの、描く主題の固定化などが起き、絵を描くことが本来は持つはずの
万人にとっての喜びは減殺されてしまう。
桑江良健氏の作品を、残念ながら私は実物は1点しか見てないが、
プリントで見る限りでは、そういう絵画をめぐる‘しばり‘から開放されて、自由でいうように思える。
題材の選びようも、のびやかで、固定観念にとらわれていない。
なかでも、ひとつの画面にたくさんの人物が思い思いの姿で登場している作品は「まんだら」を連想させ、
私は好きである。
画家としてだけでなく、いろいろな人生体験を重ね、生活をしながら描き、描きながら生きて行く、
という「生活人」としての体臭を失わない画家がいてもよい。
その成果を結集した展覧会のご成功をいのる。
私はこの筑紫哲也さんの推薦文を私の人生で最も大事な宝物と思っています。また筑紫さんの期待に応えなければならないと思っています。TBS ・ニュース23を観ていて「筑紫さん」なら私の事を理解してくれるかも知れないと思い、半月考えて依頼文を考えニュース23宛に送りました。勿論99,99パーセントだめだろうと思っていたのだが0,01パーセントに賭けました。周りの人達も恐らく私と同じ思いだったと思います。一月後に「推薦文を書いてもいい」という連絡を頂「飛び上がって喜びました。」9年前の参議院選挙後の事でした。今筑紫さんが体調を崩されている折、私のこのブログを読まれている何人かの方々に、筑紫哲也さんのお人柄・哲学を少しでも判って頂けたらと思い書いてみました。一日何万枚の便りから選んで頂いた事に改めて感謝したいと思います。私の絵が世に出たら筑紫さんに直接お目にかかりたいと思っています。
2007年09月14日
沖縄人形芝居「チョンダラー」公演

昨日公演した幼稚園の風景です。CDからパソコンに取り込めなかったと、ブログに載せたらYさんから早速メールで送られてきましたので、早々掲載いたします。Yさん有難う御座いました。
2007年09月14日
沖縄人形芝居「チョンダラー」公演

今日は保育園で敬老会を兼ねチョンダラーを上演しました。2歳の子供達も身じろぎもせず見ていました。お年寄りやご父兄は子供達以上に興奮してご覧になりました。私達のこの人形劇はとても体力が必要で毎日が自分の体との戦いです。筋力は勿論体の柔軟さもなければ怪我をします。ちなみに私のたらだの柔軟さは如何ほどかといいますと、足は前後左右に180度開きます。10年かけて出来るようになりました。ささやかな自慢です。
2007年09月13日
沖縄人形芝居「チョンダラー」公演

南部の小学校での公演風景
今日は幼稚園で公演をしてきました。写真を撮ってもらったがCDからパソコンに取り込めず掲載を諦める。明日は保育園で公演がありますのでブログの投稿は遅れます。「敬老の日」の前後はお年寄りと子供達が一緒に人形劇を見る企画がよくあります。
2007年09月12日
桑江良健の絵

あじくーたー 大きさ:144x121cm

知念城跡 大きさ:F6号
このあじくたーはかじまやぁ美術館に常設展示してあります。あじくーたーシリーズの作品ではこの作品が一番時間がかかりました。実働時間で1600時間費やした。今の実力ですれば1200時間くらいで描き上げきれるのではないかと思います。年間に一作は3ヶ月以上かけた作品を描く事でやってきています。このような事を決めたのもイランのマシャドで見た「2年かけて仕上げた絨毯」とか「インドの石工が親子何代にわたって一つの作品を彫る」事を聞き及び私も少しでもそれに近づけたらとの思いから始めました。
知念城跡は売れて個人所有になっています。
2007年09月11日
桑江良健の絵・移動22

インドに行ったことのある人は多分皆同じ事を言うと思います。「腹がたつ・時間を守らない・汚い・荷物を開けられた・・・云々」。。。。99パーセントの外国人がこのような事をくちにするでしょう。そのような事をいわない外国人は外国人ではなくインド人でしょう。イギリスがインドを植民地にした当初、あるイギリス人曰く、「どんなにイギリスがインドを支配してもインドは変わらないが、イギリスに20,30人のインドの坊さんが来たらイギリスは変わる」と。。。1970年代ビートルズはじめヨーロッパの若者はインド・インドと行ったものです。それは何故だろうか?、、、、ビートルズがインドになびいたのはアメリカのCIAの計画のひとつだろうというのが定説です。あの頃中国の核の現状を調べるためインド・ネパールで情報の収集をしていたようだ。それにしてもインドは何百年たっても変わらない。私のうがった考えだが「インドの最下層の人達には国家の意識はないのではないか」、、、イギリスが入ろうがアメリカが来ようが今のインドのカーストの一部としか捉えていないのではないか。。。。。私達の沖縄も昔はインドのような事をよく言われたものだ、「時間を守らない・並ばない・汚い・・・云々」。今インドに習って沖縄をもう一度考えなおすべき時ではないか。
2007年09月10日
桑江良健の絵・移動21

知念城跡 F6号
インドに行って感じた事はカースト制が厳然と存在するという事を思い知らされた。私達の世界はカースト制がないかと云うとそうではなく、この日本、沖縄にも目には見えないが厳然とカースト制があるように思う。インドではどんな事でも職業にする事が出来る様です。私が一番記憶に残っている事は、「足の膝から太ももにかけて大きく皮膚がただれた人が路傍でそれを見せてお金をもらって生活している」。はじめそれがとてもショックでしたが30年たってもその記憶は鮮明で、今日本でのニュースで生活保護を受けられず死んでいった事とか、其の他それに似たようなニュースを聞くたびに、このインドの光景がよみがえる。どちらがカースト制が厳しいのか。一概にどちらが良くてあちらが悪いとは言えませんが、人間死ぬまで仕事をし死んでいける事はいいのではないかと私自身は思っています。





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