2008年03月24日
桑江良健の絵・徒然

桑江良健絵画展
2008年 3月25~30日
那覇市民ギャラリー(パレットくもじ6階)
電話 098-867-7663
多くの方にご覧頂たいと思っています。
2008年03月15日
桑江良健の絵・徒然

あじくーたー
昨日、岡山県から友人Hさん家族4名で我が家に見えました。
彼は岡山県美星町の中世夢ケ原でチーフ企画者で人形劇団かじまやぁの企画もやっていただきました。
古謝美佐子さんの企画も手がけています。
沖縄平和賞第一号のぺシャワー会の中村哲さんの講演の企画なども手がけている方です。
彼との出会いは12年前、「北村悟・桑江良健二人展」を那覇市民ギャラリーを開いた時が始まりです。
2008年03月14日
桑江良健の絵・

Y家の肖像 大きさ:F10号 かじまやぁ美術館常設展示
私の展覧会には、どういう訳か絵描はあまり来ません。
しかしプロの絵描はよくみえる。
以前は2000枚ほどDMを出した事もあるが最近は700枚ほどに留めている。
政財界から一般の方々にも出すが、人々は絵にあまり興味がないようです。
前回の展覧会には1000名ほどの方が見学しました。
今回はどなたが見えるか楽しみです。
2008年02月18日
桑江良健の絵・徒然47

琉装 大きさ:ハガキ大 個人所蔵
「一休庵」、これは神戸市北長狭通りにある茶道具屋である。JR元町駅を六甲に向って約150mほど行った所にあります。
私の友人の店がその「一休庵」です。
子供の頃、母親から関東大震災の事をよく聞かされていました。母は大正12年、数え17歳で神奈川県川崎の富士紡績と云う会社で、女工として働いていて昼前、震災にあって九死に一生を得る。
関東大震災から約72年後、阪神大震災が起こったわけです。
一休庵も勿論直撃を受けたわけです。
木造の建物などは木っ端微塵に破壊され、建物と云う建物は殆ど傾いている有様はまさに「地獄絵」さながらである。
電話で友人と話していても、気持ちが落ち着かないので、震災1週間後神戸の「一休庵」に行ってきました。
驚いた事に、「一休庵」が入っている建物と隣の建物だけは、真っすぐもとのまま立っているではないか。
この時、この「一休庵」には神が宿っていると思いました。
2007年12月20日
桑江良健の絵・徒然15

うしんちー 大きさ:F4号 しゃんぐりら所蔵

先日、A氏ご家族6名が、かじまやぁ美術館を訪れました。A氏ご夫妻は、美術館開館祝い以来1年3ヶ月ぶりの訪問でした。
子供達が居るとにぎやかになり活気付きます。日ごろは夫婦二人の生活なので話すこともあまりないが、来訪者があると有意義な一日となるから不思議なものです。
私は、外で人と話す機会も少なく来訪者があると生活にも潤いが出てきます。
2007年12月18日
桑江良健の絵・徒然13



先日妻の友人のAさん家族4名が、かじまやぁ美術館を見学に見えました。
ご両親がとても感動していました。お母さん曰く「この絵は本当に描いたのですか」と聞かれとても気持ちがいい思いを致しました。
展示してある作品は全て、色彩空間を手直ししたので、観覧者の本能に訴える事が出来るはずだと思っていますが、現実に「本当に描いたのですか」と聞かれ、その証明がなされたのだと思うと嬉しいものです。
2007年12月02日
桑江良健の絵・徒然5

人形劇団かじまやぁ 大きさ:184x161cm かじなやぁ美術館常設展示

人形う劇団かじまやぁ 大きさ:F100号 かじまやぁ美術館所蔵
妻を表現するとき、何時もうつむいたポーズになっていることに気付き、これはいかんと云う事になる。
昨年20年後に正面を向いた妻を描く。
絵は不思議なもので、10年、20年単位で見ると、その時その時の状態がよく現れるものである。
2007年12月01日
桑江良健の絵・徒然4
何故うつむいているのか 大きさ:104x91cm かじまやぁ美術館所蔵
この絵は、結婚して2作目の作品です。人は結婚したら楽しい表現をすると思うが、私の場合、結婚当初の絵は全て、妻はうっ向いている。
私自身結婚に対する確固した目的がなかったように思われる。
出会いがしらに一緒になったような感じである。普通結婚に至る過程で、「デート」と云うのをやるようだが、私達はデートをしたことがない。
結婚には「結婚指輪」と云うのがあるようだが、私にはそのような金がないので、今でも指輪をくれてない。
「何故妻がうつむいているのか」、、、それは私自身かもしれない。
2007年11月24日
桑江良健の絵

ヤンバルのひと時 大きさ:F100号 かじまやぁ美術館所蔵
私の場合、絵は画面空間の解決が最も大事と考えています。ブリューゲルの「死の勝利」と云う絵を目標にやってきました。15年ほどかかりましたが、技術的に今は楽に描く事が出来ます。
8,9月の2ヶ月かけて手元にある自作品に空間処理の加筆をしたが、再度の加筆を今年一杯かけて行っています。
どんなに形がよくても「空間が完璧」でない絵は、私としては納得がいきません。画面上では「ゴミもダイヤモンドも同じ価値」だと思っているからです。
来年からは、自分の作品を色々な方々に披露して行くつもりです。
色彩空間が完璧な絵は見る人の「本能」に訴える事が出来ると思っています。かじまやぁ美術館の作品は、2点以外全て「色彩空間」が完璧になった作品にしています。
同一作品で昨日見た作品でも、色彩空間が完璧な作品は違った存在になります。
完璧な画面は原画でしか現れません。映像では表現できません。「色彩空間」に興味のある方は、かじまやぁ美術館にお出でになればご覧になれます。
2007年11月18日
桑江良健の絵

嘉津宇岳 大きさ:F20号 かじまやぁ美術館所蔵
20年前ある美術雑誌で加山又造さんが、「ブリューゲルの風景画の空は平坦になっている」と言われた記事を読みました。
私はその時、何時か加山又造さんにお会いして、私の絵を見て頂こうと決めました。
1992年の桑江良健絵画展「北斎・ブリューゲル色彩空間に至る」の案内ハガキを送り、何時かお会いしたいと申し上げ、5年ほど前に神奈川県大磯のアトリエにうかがいました。
残念ながら川崎のご自宅で病気療養中とのことでした。その時アトリエには義弟さんがいらして、川崎の加山さん宅にすぐ電話をして下さいました。
奥様が出られて「病気こうこうしかじか、、、ですので電話に出られないとの事でした」。その後文化勲章を受けられてから亡くなられたようです。
私がそれを知ったのが去年です。実際にお会いする事は出来ませんでしたが、私はお会いできたと思っています。私の人生の一ページを飾る出来事としたいと思っています。
2007年11月17日
桑江良健の絵

風景 大きさ:F4号 かじまやぁ美術館所蔵

あじくーたー 大きさ:F40号 かじまやぁ美術館所蔵
先月テレビで「ポアンカレー予想」と云う番組を見て大変感動しました。私は数学について全くの素人ですが、物の追求の仕方が私の絵の追求ととても共通するところがある。
フランスの数学者ポアンカレーが100年前「宇宙は球である」と予想」したらしい。多くの数学者が「その予想」を解くため挑戦したがなかなか解析できなかったが、100年後の今年ロシアの数学者グレゴリ・ベレリマン博士がそれを解く事が出来たそうです。
私の絵とどのような共通点があるのかと云うと、「絵では画面の中ではゴミもダイヤモンドも同じ価値しか持たない」と云うのが私の考え方です。「宇宙は球であるというのと、絵の中、即ち画面と云う宇宙ではゴミもダイヤモンドもひとつの物に過ぎない」と宇宙を解くという上では同じ事のような気がする。
「風景」と「あじくーたー」を展示してあるが、画面と云う宇宙を解くためのひとつの手段に過ぎない。私は、絵の追求とは画面と云う宇宙を解く事にあると思う。その宇宙を私は解く事が出来ました。
グレゴリ・ベレリマン博士は「ポアンカレー予想」を解くために数学だけでなく物理学の方からも探りを入れたそうです。
殆どの数学者がグレゴリ・ベレリマン博士の解析を理解できないで居るそうです。桑江良健の絵も殆どの絵描が理解できてないようです。
北斎やブリューゲルを神の位置おかず、私が彼らのことを平気で云うのは、私が「絵画の宇宙空間」を 追求しているからだけの話です。云えば基礎研究です。
桑江良健は、人間がアンドロメダ星雲まで行くには「平面の解釈を新たにする必要がある」と予想します。数学や物理学の事は判りませんが、絵画と云う宇宙の事は数学者の誰よりも知っているつもりです。
2007年11月05日
桑江良健の絵

あじくーたー 大きさ:F40号 かじまやぁ美術館常設展示
11月1日に県立美術館がオープンした事は、大変喜ばしい事だと思います。これを機会に絵画に関心を持ってくれる人が増える事を希望します。今回は諸事情あって協力出来ませんでしたが、中身を充実させていく上で、協力出来る事があれば協力して行きたいと思っています。
この絵は1992年8月25日の展覧会の案内用ハガキに使用した絵です。このときのタイトルが「北斎・ブリューゲルの色彩空間に至る」。当時、このように描くのは大変苦労したが、今は楽に描ける様になりました。
2007年10月26日
桑江良健の絵

未来達に平和を 大きさ:F150号 かじまやぁ美術館常設展示
この絵を描くきっかけは「沖縄サミット」でした。小渕さんをテーマに何時か絵にしてみようと考えていました。私の考え方と云うか思想と云うか、「現役の政治家は描かない」と云う考えがあります。その政治家が国民の為の政治をしたので有れば、おのずと歴史の中で語られるでありましょう。
当初小渕さんの像を6,7体画面に展開して、人骨などを配して絵にしようと考えていました。(若い頃小渕さんは沖縄で遺骨収集をされたので、、、)。
そのように構想をめぐらしていた折、「9・11」が起こりイラク戦争に入って行く。
そこで急遽、構想を改め「未来達に平和を」と云うふうになりました。
桑江良健絵画展 04年10月5~10日 名護市立中央図書館於
今世界のあちらこちらで戦争がおき、
悲劇が繰り返されている。五十年前・・・
ひとりの若い学生が、戦争で死んだ人達の
遺骨収集のため沖縄に来た。その人が後の
総理大臣小渕恵三さんと聞く。
沖縄の諺で「意地ぬ出んじら手引き、
手ぬ出んじら意地引き」と云うのがある。
国家の指導的立場にある方々に、
その言葉を送りたいと思います。
未来達に平和を、未来達に平和を!
2年前の展覧会の案内用ハガキのメッセージと絵です。
2007年10月25日
桑江良健の絵

あじくーたー 大きさ:160x140cm かじまやぁ美術館常設展示
この作品を描くとき、何を描いていいか判らず思案した挙句、画面左側上部の後ろ向きの女性像から描き始める。
わたしの作品は旅と同様、全く無計画である。この作品も描き始めから、中盤に差し掛かっても何を描いていいか判らず、後は「早めに画面を形で埋め尽くしてやろう」とそれだけを考え、右下を埋めて終わる事にした。
「あじくーたー」と云う題名は個々の味が判らず、どんな味なのかさっぱり判らなくなってしまったので「あじくーたー」とつけました。本来の「あじくーたー」の意味とはかけ離れた心境です。
2007年10月20日
人形劇団かじまやぁ


先日、小禄の宮城自治会でチョンダラーを公演した関係で、今日自治会の皆さん、27名で大型バスを貸切、かじまやぁ美術館にお見えになり、絵と人形を見学なさいました。約1時間じっくり見学してくださいました。
事前に連絡があれば見学可能です。
2007年10月19日
桑江良健の絵

人形使いとキジムナー達 大きさ:F100号 かじまやぁ美術館常設展示
この絵は、人形劇団かじまやぁが、公演している「キジムナー」の人形達を使って絵にしてみました。
このような絵は体力のあるときしか描けない絵です。
2007年10月18日
桑江良健の絵

未来達に平和を 大きさ:F150号 かじまやぁ美術館常設展示
朝日新聞 夕刊2006年(平成18年)2月15日 水曜日
ニッポン 人・脈・記 沖縄をつむぐ
遺骨拾った政治家小渕
沖縄でサミットが開かれた00年7月、首里城の「守礼門」をデザインした2千円札が発行された。沖縄開催と新札発行を決めた首相小渕恵三は4月に突然、脳梗塞で倒れ、目覚めることなく5月に他界した。サミットも2千円札も見ることはなかった。
本島北部の屋我地島に住む画家桑江良健(57)は、サミット後に思い立った。
「世界に沖縄を知ってもらえた。小渕さんを描こう」
桑江の両親は戦前、フィリピンに移住した。戦時中ジャングルで姉が、引き上げ船の中で兄が栄養失調などで死亡。親類は米軍捕虜殺害にかかわり、米軍事法廷で絞首刑判決を受けた。減刑されたが、身内にも苦痛の思いが残る。
「戦争がなければ、兄たち2人はきっと生きていた。親類が人を殺すこともなかった。」
沖縄工業高を出て関東で建築の仕事をした後、74年にパリへ。観光客の似顔絵描きをして、画家を志す。アフリカ、中近東、インドを放浪し、83年に帰郷した。
絵を描くため桑江は、鍾乳洞観光会社の社長大城宗憲(69)に小渕の写真を借りた。その折、小渕が沖縄で遺骨収集をしたことを聞き、制作への思いを強めた。
04年に完成した「未来達に平和を」は縦1・8M、横2・3M。子供たちを大人が囲み、中央に若き日の小渕がいる。桑江の妻純子(54)が主宰する人形劇団「かじまやぁ」の劇を見る子供も、モデルに。サミット6周年の今年7月、那覇市の個展に飾る。
大城が初めて小渕に会ったのは、早大卒業前の小渕が60年に沖縄を訪れた時だった。本土復帰運動に共鳴する小渕は、現在の知事稲嶺恵一(72)の父一郎の家に泊めてもらった。大城は、一つ下の小渕を遺骨収集に誘う。
「沖縄を知るには、本島南部で遺骨の上を踏んづけて歩き、拾って、そこから見てもらうと大変ありがたい、ということでね」
地上戦後、野に放置された無数の人骨は風雨にさらされ、洞窟に埋まり、赤土では赤く、サンゴの土では白く染まっていた。
この20代の体験が、政治家小渕の土台になった。「ともに復帰運動もやり、以心伝心になるくらいのお付き合いでした。」と大城。昨春、小渕の次女優子(32)が出席した那覇市の結婚式で、沖縄モノレール社長湖城英知(71)を優子に紹介した。
湖城は語りかけた。
「あなたのお父さんは『平和希求紙幣』を発行した。単にサミット記念というだけじゃない。私はお父さんの3歳上で沖縄戦を体験した。沖縄を知り、2千円札に託した気持ちがよくわかります」
湖城は名護市生まれ。戦争中、食糧確保のため、避難先の山から里に下りた祖父が銃撃され死亡。戦後、日大を卒業して銀行員となり、沖縄海邦銀行頭取も勤めた。
2千円札の図案なった守礼門には「守礼乃邦」の額が掛かる。中国との外交が華やかだった琉球王国の歴史、文化の象徴だ。 ところが、2千円札の流通は、はかばかしくなかった。これではいかんと湖城は昨年4月、地元の観光、金融関係者に呼びかけて流通促進委員会をつくった。
2千円札が使える現金自動出入機(ATM)を増やす。積極的に釣り銭に使う。2千円札を使ったら割引する・・・・。県内流通量は大幅に伸びた。
それでも、全国の発行高はピーク時の5億枚から、今や半分に。増刷の予定はない。
優子は00年6月に衆院議員に初当選。2千円札はコンビニやタクシーでよく使う。
「沖縄も父がお付き合いした方々の次の世代が出てきている。基地問題を含め、政治家として私にできるところがあると思う。」
製造番号1番の2千円札は日銀、2番は沖縄県が保管する。3番は小渕の家族に贈られている。
(八板俊輔)
2007年10月14日
桑江良健の絵・

人形劇団かじまやぁ 大きさ:164x141cm かじまやぁ美術館常設展示
この絵は20年前屋我地に引っ越してきて建てた人形劇団かじまやぁの家です。
記念に絵にしました。
昨年この家を取り壊し現在のかじまやぁ美術館をそこに建てる。
昨日現在手元にある自分の全作品に最終加筆を終えることが出来ました。
愚作の数々ですが、どれも自分の作品なので思い出があり、色彩空間だけは
完全にしておきました。
いま10箇所程から同時に、企画が持ち込まれても直ぐ対応できる体制ができた。
今までも県内外で展覧会をしてきたが、来年からはより積極的に行動しようと
思っている。
2007年10月11日
桑江良健の絵

構成 大きさ:F25号 かじまやぁ美術館常設展示
この作品も描き出してから20年以上なるが、
今年画面の研究が進み最後の加筆をした。
どんなに形がよく出来ていても、
空間の研究が足りない絵はレベルが低いと云われます。
色彩空間の研究をしてないと、何十年描いても伸びないと思う。
人の目玉一つまともに描けない。赤い口紅をつけた唇一つ描けない。
そのような点で絵は、人間に与えられた一番平等な仕事だと思う。
私は自分の絵を色々な方々と付き合うパスポートにしたい。
絵は残酷なもので、作品が悪いと本当に馬鹿にされる。
普通、どんな仕事もその仕事の事は悪く言われないが、
絵だけは何故か馬鹿にされる。
やくざな稼業だ。ドロボーも自分の子供には「絵描だけにはなるな」と云うだろう。
でも絵は楽しいですよ。
2007年10月07日
桑江良健の絵

構成 大きさ:F100号 かじまやぁ美術館所蔵
長い間絵を描いていると、世の中に対する見方が多少違ってくる。
セザンヌ・ゴッホ・モジリアーニなど生前あまり評価を受けなかった
絵描の事ですが、一般の美術関係者が「彼らの作品は素晴らしい」と
いっても「ホントかしら」と思うことが時々ある。
フェルメールにいたっては19世紀後半ごろに評価を受けている。
現在ではすごい評価を受けていて、
評論家をはじめ殆どの美術愛好家が絶賛する。
人間は「ファシズムが好きなのかなぁー」と思ってしまう。
私はセザンヌ・ゴッホ・モジリアーニのように
ならない様に成ろう思っています。
生きている間に評価されなければ何の意味もない様に思う。
歴史は死んだ人達には意味を成さない。
歴史は生きている人達の財産だ。



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